水璉湿原牛山海岸
海角ー楽園
更新しました:2023-01-18
公開日:2012-05-26
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牛山呼庭の由来
水璉南側の浜にある牛山は、アミ語では「広い草地がある牧場」という意味の「Huting(呼庭)」と呼ばれます。牛山は特殊な地形をしており、特に南岸は棚田のような階段状になっています。ここはかつて水牛の牧草地でした。今では春になるとタカサゴユリが咲き誇り、野ユリの原生地と言えるところです。牛山は植物群相も豊かで、東部海岸植物相の縮図と言っても良いでしょう。1990年には「台湾沿海保護区計画」の「自然保護区」に指定されました。
冬の水璉牛山海岸は歌う-表情を変える浜
春夏の海岸は穏やか。潮風に吹かれながら裸足で砂浜を歩いていると、「海の楽園」という言葉が心に浮かびます。ところが秋になると東北の季節風が強く吹きつけ、大波が丸石を海岸へと運びます。こうして滑らかだった砂浜は、大きさも色もとりどりの石が転がる石海岸に表情を変えるのです。丸石は風に吹かれてきちんとビーチに並んだかと思えば、引き潮とともに水の中に転がり入っていきます。その際に音を発するため、地元では「冬の水璉牛山海岸は歌う」と言われています。
心を海岸線に残す-星光キャンプ
牛山には簡単な宿泊ができるキャビンもあり、キャンプを選ぶこともできます。星空の下に寝そべり、星明りを目に焼き付けましょう。潮騒を聞きながら眠りにつけば、この海岸線に心を残してしまいそうです。
特色
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歷史と文化
水璉はアミ族が代々暮らして来た地です。3500年前、縄紋文化時代からここには人類が住んでいました。現集落のアミ族住民は80〜90年前(光緒初年前後)に徐々に移り住んで来た人たちの子孫で、漁労、狩猟、畑作を主な生業としています。日本統治時代、光復初期には苗栗の客家人が移入し、閩南語を母語とする華人の大部分は1959年の「八七水害」の後に、西部から移り、山地を開き果樹を植えました。さらには清兵から逃れるため、東海岸へ逃れアミ族に保護された少数のサキザヤ族の住民もいます。
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自然の生態
この一帯の花東沿岸は黒潮水域にあたり、多くの回遊魚が見られ、経済魚種、観賞魚種も豊富です。自然植生はオオバギ、アカメガシワを主とする低標高二次林、塩分に耐性を持つ海岸植物林が主で、花東海岸植物相の縮図と言えます。生き物はチョウ、昆虫、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類などが観察され、保護の対象となる貴重な野生動物も生息しています。
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地質環境
水璉盆地内の岩層は主に多くの泥質を含む頁岩ですが、北側の海岸は礫岩が主です。礫岩は硬く、泥質の頁岩は軟らかいため、前者が高く急峻で、後者は低くなだらかな景観が形成されました。
この区域内には二ヶ所のビーチがあります。一つは水璉村と牛山(標高203メートル)の間で、もう一つは牛山以南から、さらに南方の火山集塊岩が構成する丘(標高296メートル)です。 -
熱帯雨林を観察
水璉、蕃薯寮坑から磯崎までの「牛山自然保護区」は、植生が熱帯雨林に属します。ホソバタブとクワ科フィカス属の植物が多く、板根、幹生花(花が幹に咲く)現象が観察されます。着生植物も発達し、絡みつく木本性つる植物を見ることができます。
台11線27キロ位置では、左側に「牛山呼庭」のトーテムが見えて来ます。観景亭の先には、細く曲がりくねっていますが、木々が鬱蒼と茂り、熱帯雨林を観察するには最適な小道が現れます。ここはバードウォッチング、昆虫観察にも便利な場所です。 -
阿生水璉グアバ観光果樹園
水璉の農産物は柑橘類が主。大きくて甘いと評判です。他に梅、スモモ、桃、珍珠グアバ、ドラゴンフルーツなどの果物も栽培されています。
「阿生水璉グアバ観光果樹園」は水璉山上にあり、大海を望む、静かで落ち着いた環境です。黄長生オーナーは、果樹園内で各種柑橘類の接ぎ木実験をしながら、アブラツバキも栽培しています。黄長生の妻は手芸の名手。もし事前に予約し十分な時間が過ごせるなら、水璉の風土と人情をたっぷり味わうことができるでしょう!
電話:03-8602258
住所:寿豊鄉水璉村北坑16号 -
呼庭レジャー区
「呼庭(Huting)」はアミ族の言葉で「牛や羊を放牧する地」という意味。ここの溪谷はかつてはアミ族の放牧地だったのです。「牛山呼庭」では海辺で拾い集めた漂流木で芸術作品を創作し、草原に展示。牛山に芸術的な息吹を吹き込んでいます。
レジャー区内のレストランのテーブルとイスも漂流木で作られ、壁にはアミ族の装飾が掛かっています。ドリンクはタコノキ、オジギソウ、ユリの花で作られたもので、食事時には本格的なアミ風料理が味わえます。
呼庭で宿泊するなら、漂流木で作られた民宿がおすすめです。またはテントを借りて、砂浜でキャンプもいいでしょう。潮騒を聞きながら星空を見上げ、自在な気分に浸れること間違いなしです。 -
米桟古道
「米桟古道」は東海岸の先住民と漢人が交易する際の要路でした。水璉村の住民は担ぎ棒を用い、海岸山脈を越え、米、塩、樟脳油、レモングラスオイルを米桟村まで運び、醤油、砂糖などの日用品を持ち帰っていました。こうして「米桟古道」特有の担ぎ夫文化が生まれたのです。
古道は全長6キロ。敷かれた当時は急峻でしたが、修築により緩やかになり、現在は米桟と水璉の住民が維持管理を担っています。水璉セクションは産業道路に拡幅され、車両も通行できますが、米桟村セクションは古道の様子を保っています。ただ古道と言っても修築後は高齢者や子供でも歩けるハイキングルートとなりました。冬や春は日射も強くなく快適です。夏は暑いですが、日陰も多く、鳥類が多く見られます。林相が豊かなので、植物観察にも適しています。
ディテール
施設
- ダイニング
- ステイ
- ガソリンスタンド
- 多くの駐車場
- ビューポイント
- 歩道
お薦めのモデルコース
アクセス方法
旅行のヒント
2.古からある道を歩いて、1本の水を持つのが渇きをいやすことを覚えています